藤原氏の滅亡により、実質的な支配者を失った陸奥・出羽両国に対し頼朝は、関東の御家人達を奥州合戦の論功行賞によりその支配に当たらせた。奥州合戦において、阿津賀志山の堅塁に真っ先に迫る大功を挙げた葛西清重は、「陸奥国御家人事」奉行、「平泉郡内検非違使所」管領の重職に任命され、平泉を中心に五郡二保という広大な所領を給与された。清重は、奥州藤原氏がもっていた軍事・警察権を受け継ぎ、遅れて陸奥国留守所に任じられた伊沢家景とともに奥州惣奉行として、「秀衡・泰衡の先例」にならいつつ、陸奥国における鎌倉幕府政治の体現者となった。

覆堂
覆堂(鎌倉幕府に保護された金色堂)