金沢遺跡(金沢柵擬定地)(横手市)

金沢遺跡

後三年合戦(1083〜1087年)の決戦場である金沢(かねざわ)柵の擬定地である。発掘調査がなされたが遺物の多くは鎌倉以降のもので11世紀の明確な遺物はない。

エヒバチ長根窯跡(北秋田市:旧二ツ井町)

12世紀後半と考えられる須恵器系陶器の窯跡が3基確認され、トレンチ調査がおこなわれている。出土した器種は甕、片口鉢、波状文四耳壷、小皿、陶硯などがある。平泉の最盛期と重なる時期の操業であり、関係が推察される。

二ツ井町教育委員会 1990「エヒバチ長根窯跡・大川口館跡・鳥野遺跡」

矢立廃寺跡(大館市)

国道7号線沿いの矢立峠の入り口という、交通の要所に位置する。発掘調査により12世紀代の手づくねかわらけ、ロクロかわらけ中国産磁器、須恵器系陶器と平泉遺跡群と共通する遺物が出土している。遺構は掘立柱建物、礎石建物、土坑が検出されている。土坑からはチュウ木、植物種子が出土しており、平泉遺跡群の「トイレ状遺構」と共通するものである。遺跡の性格は「廃寺」ということになっているが、その可能性も含めて検討の余地がある。
大舘近辺は吾妻鏡にある藤原泰衡が討たれた「肥内郡贄柵」に相当する地域である。「郎從河田次郎」の名もみられ、平泉藤原氏と関係の深い地域である。

大舘市教育委員会 1987「矢立廃寺発掘調査報告書」