左組(1)・(3)遺跡(七戸町)

左組(1)遺跡は以前は曽我森遺跡とも称されていた。1959(昭和34)年にスキー場の造成工事中に12世紀代の常滑産三筋壷が出土した。壷は積石塚のような石が積み重ねられた中から発見されたと伝えられる。また壷の中には人骨らしいものが入っていたという。
左組(3)遺跡では1952(昭和27)年に常滑産の広口壷が出土している。出土したのは通称「コンニャモリ」と呼ばれる積み石塚からである。

小山彦逸 1999「青森県七戸町出土の常滑壷2例」青森県考古学第11号

内真部(4)遺跡(青森市)

1992(平成4)年に発掘調査がおこなわれ、12世紀代の手づくねかわらけ、中国産磁器、須恵器系陶器などが出土した。他時期の遺構の重複が著しく、また調査区域も狭く、12世紀の遺構の構成を捉えることは難しい。
当遺跡は陸奥湾に面した「外ヶ浜」と呼ばれる地域に所在する。他に「外ヶ浜」地域では尻八舘(青森市)、蓬田大舘(蓬田村)、岡町(2)遺跡(青森市)で少量ではあるが、12世紀代のかわらけ、瓷器系陶器、須恵器系陶器などが出土している。

青森県埋蔵文化財調査センター 1994「内真部(4)遺跡」第158集
青森県立郷土館 1981「尻八館調査報告書」第9集
桜井清彦編 1987「蓬田大舘遺跡」早稲田大学文学部考古学研究室報告
青森県埋蔵文化財調査センター 1998「岡町(2)遺跡」第232集

蓬田村

中崎舘遺跡(弘前市)

青森県内で12世紀のかわらけが最も多量に出土した遺跡である。かわらけは手づくね、ロクロの両者がある。他に中国産磁器、須恵器系陶器も出土している。また擦文土器も出土しているが12世紀の遺物・遺構との関わりは不明である。
多量のかわらけが出土していることから、平泉藤原氏との関係が深い、何らかの拠点的な施設があった場所と考えられる。

高屋敷舘(青森市:旧浪岡町)

高屋敷舘

高屋敷館は濠と土塁に囲まれた集落跡である。この環濠集落の形成は10世紀中頃で、その後12世紀前葉まで集落が存続したと考えられている。この集落の存続期間から、東北北部では平泉文化と重なる時代にも環濠集落が営まれていたことになり、平泉と東北北部の文化的差異や関係を考える上で重要な遺跡といえる。

青森県埋蔵文化財調査センター 1998「高屋敷館遺跡」第234集
畠山昇 1999「高屋敷館遺跡について」青森県埋蔵文化財調査センター研究紀要第4号

大仏遺跡(八戸市)

これまで八戸周辺では、かまどを持つ竪穴住居と土師器の甕は10世紀後半までの使用と考えられていた。しかし大仏遺跡のかまどを持つSI25竪穴住居の床から12世紀後半代の珠洲系の破片が土師器甕と出土した。これによってかまどのある竪穴住居と土師器甕の使用が一気に12世紀後半まで下る可能性が出てきた。

八戸市教育委員会 1999「掘りdayはちのへ」八戸市埋蔵文化財ニュース第2号