天台寺(二戸市:旧浄法寺町)

天台寺

天台寺は仏像から10世紀末頃まで創建が遡りうると考えられる。天台寺参道の南方の丘陵に「土踏まずの丘」と呼ばれる経塚がある。1930(昭和5)年に発掘調査がおこなわれ、壷形陶器3点、刀子などが出土している。これらの陶器は現在東京国立博物館で保管している。

旧浄法寺町教育委員会 1989「天台寺跡」昭和63年度発掘調査概報 他

比爪舘(紫波町)

比爪舘

奥州藤原氏の一族、樋爪氏の居館跡である。十数次にわたって発掘調査がおこなわれており、12世紀のかわらけ、国産陶器、中国産磁器などが多数出土している。12世紀の遺構の他にも古代の集落、14世紀以降の居館など他の時代の遺構も密に重複しており、12世紀の遺構の摘出が難しい面がある。

紫波町教育委員会 1976「比爪館第4次、5次発掘調査報告書」第9集 他

山屋舘経塚(紫波町)

山屋舘経塚

標高約 430mの緩斜面に立地する。4基の経塚が発掘調査で確認された。4基の塚はいずれも地下部に石槨があり、その上に積石により塚が作られている。4基の内の3基は盗掘がなされていた。未盗掘の塚からは常滑産の三筋壷が出土している。盗掘痕のある経塚からも須恵器系陶器波状文四耳壷、銅版で縁取りした木箱の一部が出土している。正式な発掘調査がなされた「経塚」は岩手県内では事例が少なく、貴重な事例である。

(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 1997「山屋舘経塚・山屋舘跡発掘調査報告書」第255集

鳥海A遺跡(金ヶ崎町)

鳥海A遺跡

前九年の役(1051〜1062)の「鳥海柵」の擬定地。東北縦貫道に建設に伴い発掘調査がおこなわれ、11世紀代のものと思われる土師器皿(かわらけ)が出土している。遺構も掘立柱建物、掘跡などが検出され、「陸奥話記」に記された安倍氏方の「鳥海柵」と考えられている。陸奥話記に記された安倍氏の柵は擬定地がはっきりしないものが多いが、遺構、遺物の面の裏付けのある本遺跡は重要である。

岩手県教育委員会 1981「東北縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告書」

豊田館(奥州市江刺区)

豊田館

藤原清衡が平泉に本拠を移す前に居住していた舘跡とされる。付近から白磁の四耳壷 が出土している。具体的は発掘調査はおこなわれておらず、遺構の内容は不明である。

田高遺跡(奥州市前沢区)

12世紀の手づくねかわらけの完形品が1点井戸跡から出土している。他に大規模な溝跡が検出されているが、これは13〜14世紀の所属のようであり、12世紀の遺跡の性格は明らかでない。

旧前沢町教育委員会 1997「田高遺跡発掘調査報告書」第4集

寺ノ上経塚(奥州市前沢区)

4基の塚が残っており、その内の1基が1970(昭和45)年に掘られている。詳しい出土状況は不明であるが、多数の手づくねかわらけと、渥美産の壷が出土している。かわらけには墨書があり、その内容は法華経の一部と考えられている。

旧前沢町教育委員会 1998「町内遺跡詳細分布調査報告書 古城・白山地区」

白鳥舘遺跡(奥州市前沢区)

白鳥舘遺跡

白鳥舘遺跡は平安時代末期の豪族である安倍頼時の八男、白鳥八郎行任(または則任)の城と言われ、安倍氏が前九年合戦で源頼義・義家父子に敗れて滅亡した後、室町時代後半には白鳥氏が居城したとされる。北上川に半島状に突き出た部分の北側から本丸、二の丸、三の丸とある。現状で確認できる縄張りはおおむね15世紀代に形成されたと推定されている。
※前九年合戦(1051〜1062年)

前沢町教育委員会 2005「白鳥舘遺跡発掘調査報告書-第2次・第3次調査-」第19集

峠山牧場遺跡A地区(西和賀町)

遺跡の主体は旧石器時代であるが、12世紀後半の手づくねかわらけが約60片出土している。峠山牧場遺跡地内は、「秀衡道」と呼ばれる古道が通っていたと伝承されている。

(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 1999「峠山牧場遺跡A地区発掘調査報告書」第291集

軍見洞遺跡(陸前高田市)

1956(昭和31)年に青銅製の「銚子」が偶然発見されている。銚子は容器部分が出土しており、片口が1個ついている。側面には柄を固定する金具を装着するための孔が4個ある。供半遺物がはっきりせず、確実な年代は明らかではないが、12世紀のものである可能性が高いと考えられる。

陸前高田市史編集委員会編 1994「陸前高田市史第2巻」考古編第七章第三節

越戸内経塚(陸前高田市)

陸前高田市越戸内に円形状のマウンドがあり、1928(昭和3)年8月にこれを掘ったところ、渥美産陶器壷が出土している。壷の製作年代は12世紀前半のものである。

陸前高田市史編集委員会編 1994「陸前高田市史第2巻」考古編第五章第三節

玉貫遺跡(奥州市水沢区)

12世紀の手づくねかわらけ、常滑産陶器甕が出土している。12世紀の遺物はB1-1竪穴住居の埋土上部から多く出土したが、この竪穴住居が12世紀に所属するか否かは判断に苦しむ。またこの住居跡からは内耳鉄鍋も出土しているが、鉄鍋の所属年代もはっきりしない。

(財)岩手県埋蔵文化財センター 1981「金ヶ崎バイパス関連遺跡発掘調査報告書」第18集

長者ヶ原廃寺(奥州市衣川区)

長者ヶ原廃寺

近世の地誌類では金売吉次の屋敷跡として伝えているが、1958(昭和33)年の発掘調査で廃寺跡と明らかにされた。県指定史跡である。しかし、時代、寺の性格については明らかにされていない。吾妻鏡に記載がないことから、安倍氏時代の寺院の可能性が指摘されている。

河崎柵(一関市)

北上川と砂鉄川の合流点付近は陸奥話記に記載される「河崎柵」と擬定されている。
考古学的な調査は及んでおらず、具体的な内容は不明である。